僕にとって9月は、少しだけ切ない月。
チリンギートの季節が、終わりに近づくからだ。
チリンギートとは、スペインの海岸に立つ小さなビーチバーのこと。砂浜に直接置かれたテーブル、少し傾いたパラソル、素足のまま座れるプラスチックの椅子。イワシを焼く煙が潮風に混じり、メニューは揚げた小魚とガーリックシュリンプとパエリアくらいしかない。掘っ立て小屋同然の店も多い。それでも僕は、この場所を愛してやまない。
理由をあえて言葉にすれば、チリンギートは「引き算の贅沢」の完成形だからだと思う。靴を脱ぎ、時計を外し、予約もドレスコードもいらない(最近、一応半裸は禁止になった)。波の音より大きな音楽は流れない。都市で身につけた鎧を、ひとつずつ砂の上に置いていく場所。豪華なものが何ひとつないのに、満たされないものも何ひとつない。
店に着いたとき、人はまだ都市の時間を持っている。何時に食べ終えて次にどこへ行くかを、スマートフォンを見ながら考えている。ところが前菜が届き、魚が焼け、米が炊き上がるころには、いつの間にか、ゆっくり流れる時間のほうがこちらを包んでいる。自由とは、選択肢が無限にあることではない。次の予定をひとつ、躊躇なく諦められることだとわかる瞬間だ。
そこで食べているのは、魚や米だけではない。葦の屋根の隙間からテーブルに降り注ぐ光を食べ、風を食べ、潮の匂いを食べ、目の前の海を食べている。チリンギートとは、環境を食べる場所なのだ。酒を飲まない僕でも、いるだけでほろ酔いになる。
地中海の海は夏の熱をため込んで、空気だけが先に秋へ向かう。真夏の刺すような日差しは和らぎ、影は長く伸び、午後の光がテーブルの上を横から撫でていく。日没は目に見えて早まり、海から吹く風には、もう秋の匂いが混じっている。暑すぎず、寒くもない。一年のうちで、身体が何も要求してこない数週間だ。
多くのチリンギート、特に街から離れた店は、10月になるとクローズする。パラソルが畳まれ、椅子が積み上げられ、砂浜は静かな冬の顔に戻っていく。だからこそ、9月の海辺の一皿は、一年でいちばん味わい深い。かつてイビサでDJをしていた頃、9月のクロージングパーティーでシーズンの終わりを惜しみつつ楽しんだように、いまはチリンギートのクロージングを楽しんでいる。
気候を追いかけて生きていると、季節の終わりはいつも、次の風の始まりでもある。パラソルが畳まれるころ「気候中毒者」である僕の身体は、もう次の風を探しはじめている。
















