夏の終わりに、フォルメンテーラを訪れる癖が抜けない。
かつて、イビサの夏を締めくくるクロージングパーティが終わると、船でこの島へ渡り、文字どおり「魂の洗濯」をした。

ひと夏ぶんの轟音と大勢の気を浴び続けた心身は、自分で思っている以上にくたびれていて、ところが、不思議なことに海峡をひとつ越えただけのこの島には、巨大なクラブもVIPテーブルもなく、夜になれば真っ暗になって、星空も素晴らしく、心が洗われる。
聞こえてくるのは風と波の音だけ。
何もしない、誰にも会わない、時計も見ない。
そうして数日を過ごすうちに、耳の奥に居座っていた低音がようやく抜けていき、体のほうが先に「夏が終わった」と納得するひとときがあった。

ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』に出てくる猫のピートは、冬になると、家じゅうの扉をひとつずつ開けさせる。
外へ通じる扉は11もあり、そのどれかひとつは、きっと夏につながっていると信じて疑わない。
飼い主のダンは、それを一度もとがめることなく、自分もまた、夏への扉を探している。
やがて裏切りに遭ったダンは、「冷凍睡眠」で30年を眠り、1970年から2000年へとタイムワープする。

フォルメンテーラで時計を見ずに数日を過ごすのは、ささやかな冷凍睡眠に似ていて、目を覚ますと夏は終わっている。
必要なのはタイムマシンではなく、船で海峡をひとつ渡ることだけ。
それは、未来なのか、過去なのかわからない。

この島には、20年前のイビサがまだ残り、レンタルスクーターと自転車が主な足。2019年から、夏のあいだ島を走れる車両の総数に上限を設けるようになり、四輪バギーの枠はゼロ、キャンピングカーの乗り入れも制限。タクシーは、ピーク時でも50台しかなく、白い漆喰の低い家並みの向こうには、枝を何本もの支柱で支えられたイチジクの木と、石垣で区切られた畑がどこまでも続く。
浜へは松林の砂道を歩いて出て、昼食は、誰もが水着のままだ。

かつて、イビサとフォルメンテーラの「夏」とは、7月と8月のことだった。それがいまでは、5月中旬から10月中旬まで、実に5カ月に伸び、以前なら9月末までにほとんど終わっていたイビサのクロージングパーティも、気候変動と資本主義の拡大により、いまは10月の第2週まで続き、「秋への扉」は、年々と遠ざかる。
たとえ冷凍睡眠で30年先へ跳んでも、目覚めた先の夏は、きっといまより長いだろう。

晩夏のフォルメンテーラは、光がやわらかく、海はまだ十分にあたたかい。
気温は、最高気温26度、最低気温24度。
かつては轟音の後片付けをするように渡ってきたこの島に、去りゆく夏とタイムワープ感を楽しみに来る癖が、いまも抜けない。