ウィーンのプラーター通りにあるSUPERSENSの青いカーテンの間から、日本にインスパイアされた「イタメシ屋」が見えた。その手前に鎮座するのは、ブルメスター・オーディオだ。奥にはレコードのカッティング機や活版印刷の道具が並び、上階にはポラロイドカメラの開発研究所や、アーティストが泊まる部屋まである。

日本の「ヤングマガジン」、伊東屋の文房具、シティポップのヴァイナル。館内のあちこちに、昭和が詰まっていた。見慣れたものをウィーンで目にしたときの感覚は、懐かしさだけでは説明がつかない。自分が過ごしてきた時間が、知らない街で、別の誰かのハイセンスな日常につながっている。その不思議な重なりのなかで、いつしか時間と場所の感覚が揺らぎはじめた。

いったい、僕は、いつ、どこにいるのだろう?

創設者フロリアン・“ドク”・カプスは、ポラロイドのフィルム生産を救った立役者として知られる。2008年、ポラロイドがインスタントフィルムの生産を終了すると、仲間と、のちに映画にもなった「インポッシブル・プロジェクト」を立ち上げ、オランダに残された最後の工場を救済した。もともとは生物学を学び、クモを研究していた人物。なぜ写真の世界へ移ったのかと尋ねると、「クモの専門家としての仕事が見つからなかったから」と、拍子抜けするほど端的に答えた。

インスタント写真の仕事を通して、彼はフィルムを買いに来る若者がコーヒーやレコード、ノートも愛していることに気づいた。その興味を一つの場所に集めようと、2014年に始めたのがSUPERSENSEだ。聴くことにはレコード、見ることには写真、味わうことには食事。匂いの実験室も設け、印刷物では手触りを確かめる。五感それぞれに、試せるものを用意した。

しかも、古い木活字のそばではレーザーカッターが働き、レコードには、プレーヤーを持たない人も音楽を聴けるカードが添えられていた。アナログにわずかばかりのデジタルを組み合わせ、手に取れるものをつくる。レコードが好きな人でも、音が盤に刻まれる瞬間を見たことがあるとは限らない。ここでは、ラッカー盤に溝を刻む工程を見せ、一緒に参加してもらう。こうして出来上がった音楽を、同じ建物の中で聴く。

その営みが、宿泊へと広がった。世界中から集まった仲間と夕食をともにしても、夜になれば、それぞれがホテルへ帰ってしまう。せっかく生まれた熱気を、そこで途切れさせたくない。だったら、そのまま泊まれる場所をつくればよい。出発点は、そんな実感からだった。

宿泊用のアパートメントは二つ。壁にはここで過ごしたアーティストの作品が残り、一方の部屋には、ポラロイドが撮れるピンボールマシンまで置かれていた。小さなスタジオでは、演奏の録音と同時に、その音をレコードに刻む。数日間ともに暮らし、実験を重ねてレコードをつくる。持ち帰るなによりの「手土産」は、その場所で過ごした時間を刻んだ一枚だ。

彼が考えるラグジュアリーとは、「時間であり、減速であり、本物の価値であり、信頼」だという。守られていると感じ、よく眠れ、誰かが自分の痛みを気にかけてくれること。友人の家に招かれたときのような安心感を、どうやってつくるか。アパートメントも、妻がセラピストたちとつくる上階の体と心のための空間も、その問いにつながっている。

創業時には貯金を投じ、公的助成も受けた。「毎月末に経済的危機がありますよ」と言うが、何世代も続くものを築くには、利益の出る事業でなければならない。それが彼の考えだ。もっとも、資金の制約は悪いことばかりではない。何にお金を使うべきかを見極め、余計なものを手放す助けにもなる。そして、ゲストとの関係は、何年もかけて育てるしかない。いくらお金があっても、その時間だけは縮められない。

一度の滞在が終わっても、そこで始まった関係は続いていく。

ポスト・ラグジュアリーの価値は、決して「インスタント」ではなく、その関係性と時間に宿るのだ。