いま、イビサの新しい潮流は農業である。

そう書くと冗談のように聞こえるかもしれないが(ある意味、当たり前のように聞こえるかもしれないが)、過去には世界最大のクラブのレジデントDJとしてこの島に通年住み、また40年近くこの島に通ってきた僕の実感として、これほど大きな地殻変動はなかった。

パンデミック前まで続いていた「巨大クラブ、VIP、ヨット、ヴィラ」という高級化路線は、明らかに潮流が変わってきた。代わって島の中心に躍り出たのが、アグロツーリズモ。すなわち、農場を核に宿泊、食、文化、自然体験をひとつに束ねた「農業プラットフォーム」だ。

その最前線が、「Aguamadera」である。

かつてイビサを象徴したクラブPachaの共同創業者一族が、クラブ売却後、代替わりして始めた19世紀のフィンカ(農家)を改装した宿は、広大な畑にパーマカルチャーの菜園、養蜂、地熱空調、週替わりで入れ替わるシェフたちによって、土地そのもの、そこで採れる食材、その土地に流れる時間や空気感までが商品になっている。これは、ホテルや農業というより、再生農業を中心に据えたひとつの生態系と呼んだ方が近い。

ここで重要なのは、アグロツーリズモがプラットフォームである以上、そこには発信力が必要だ。畑と食卓だけでは、島の外へ声は届かない。そこでAguamaderaは、母屋のサロンに、本格的なレコーディングスタジオを併設したのである。

アナログの温かみと現代的なプロダクションの融合で知られるスタジオには、ヴィンテージのアナログ機材が並ぶ。

僕が目を留めたのは、RolandのTR-606。
1981年生まれの小さなリズムマシンは、かつてこの島の夜を作ったビートの源流にあたるが、いまは畑を見下ろす小さな部屋に置かれている。

思えば、この銀色の小箱ほど「時間をかけること」で価値が育った機材もない。有名な808の陰に隠れた弟分として長く忘れられ、一時は中古屋の隅で二束三文で売られていた機材だった。

ところが、気がつくとアシッドハウスやミニマルテクノの核となり、Aphex TwinやMassive Attack、Daft Punkになくてはならい存在となる。発売から10年以上も土の中で眠り、掘り起こされてから花開いたビート。まるで、痩せた土地が時間をかけて豊かな土壌へ変わっていく再生農業のように、TR-606はイビサのサウンドをじっくりと耕した。

ここに滞在するアーティストは、録音するためだけに来るのではない。深い呼吸を取り戻し、畑で採れたものを食べ、自然の中を歩き、ゆっくりと自分の音を熟成させるために滞在する。そして、ここで生まれた音楽は、この土地の名前とともに世界へ出ていき、野菜やハチミツが畑の生産物であるように、音楽もまたこの農場の生産物になっていく。

そう、ここには、AI時代に出来ないことばかりが詰め込まれている。

AIは数秒で曲を生成し、画像を描き、文章を書く。
しかし、土を育てることはできない。一本のニンジンが甘くなるまでの数ヶ月を短縮することも、養蜂箱の蜜が溜まる速度を上げることもできない。テープが回る速度でしか録音できないアナログ機材の、その日の空気や真空管の温度が刻まれる不確かな音を、計算で再現することもできない。畑仕事のあとの食事の味も、火を囲む夜の会話も、データセンターの中には存在しない。

Aguamaderaが売っているのは、突き詰めれば「生成できないもの」のコレクションなのだろう。
土壌、発酵、蜜、テープ、ヴィンテージ機材、火、そして時間。どれも、待つことでしか手に入らない。あらゆるものが一瞬で生成される時代に、もっとも贅沢なのは、生成に時間がかかるものになり、イビサでもっともセンスの良い人たちが、クラブでもヴィラでもなく畑に集まり始めた理由は、おそらくここにある。

夕暮れのスタジオに西日が差し込み、機材ラックを金色に染める頃、窓の外では来週のディナーになる野菜が実をつけている。食も、音も、同じ環境から、同じ速度で生まれてくる。

いま、イビサはまた少し先の未来を、誰よりも早く形にして見せている。
AIがすべてを一瞬で作る時代の次に、人が本当に欲しがるものを、この島はもう知っているのだから。