カリフォルニア北部、オレゴン州との州境からほど近い場所に、標高4322メートルの巨大な独立峰がある。

マウント・シャスタ。

富士山より500メートル以上高く、周囲に大きな山がないため、実際に麓から見上げると数字以上に巨大に感じる。

しかし、この山が米国で特別なのは、その高さでも美しさでもない。ここは、おそらく世界でもっとも奇妙な「不老不死の山」のひとつなのである。

町を歩けば、クリスタル、チャネリング、ヒーリング、レムリア、アセンデッド・マスター、UFOといった言葉が普通に並んでいる。学術研究でも、マウント・シャスタは20世紀を通じてニューエイジ系の「スピリチュアル巡礼者」を引き寄せてきた場所として研究対象になっている。

話は19世紀末まで遡る。

もともと「レムリア」は神秘思想から生まれた言葉ではない。1864年、動物学者フィリップ・スクレーターが、マダガスカルとインドに分布するキツネザルを説明するため、かつてインド洋に陸地が存在したのではないかと仮説を立て、その失われた大陸を「Lemuria」と呼んだ。

プレートテクトニクス以前の科学仮説だったものが、やがて神智学やオカルティズムに取り込まれ、場所もインド洋から太平洋へ、さらにカリフォルニアへと移動する。

そして20世紀になると、「マウント・シャスタは沈没したレムリアの生き残りであり、その地下には高度な文明を持つレムリア人が暮らしている」という、とんでもない物語に発展した。現在でも地下都市は「テロス」と呼ばれ、そこには病気も老化もほとんど存在しない高次元の存在が住んでいる、と信じる人々がいる。

ところが、この山では、荒唐無稽な伝説が単なる昔話で終わらず、何十年かごとに、その時代の最先端思想と接続する。その最大の例が、1930年代に米国を席巻した「I AM運動」だった。

1930年、鉱山技師やセールスマンなどの経歴を持つガイ・W・バラードという男がマウント・シャスタを訪れた。彼自身の記述によれば、山を歩いていた時、泉の近くで一人の謎めいた男に出会った。

その人物こそ「サンジェルマン伯爵」だったという。

バラードはその後、この遭遇を世に広めた。ここから妻エドナとともに「I AM運動」を展開し、1930年代後半には運動側の主張で100万人規模にまで膨張した。

いったい、サンジェルマン伯爵とは何者なのか?

サンジェルマンは、実在の人物である。十八世紀半ば、忽然とヨーロッパの宮廷に現れたこの謎の男は、十数カ国語を操り、ヴァイオリンの名手で、錬金術にも通じ、ルイ十五世の寵を得て外交の密使まで務めた。何より人々を驚かせたのは、彼が数十年にわたって「まったく老いなかった」ことだ。晩餐の席ではほとんど食事に手をつけず、自分は数百年を生きてきたと仄めかし、古代の出来事をまるで見てきたかのように語る。ヴォルテールは皮肉を込めて「決して死なず、あらゆることを知っている男」と評した。そして1784年、現在のドイツ北部にあたるエッカーンフェルデで死亡した記録が残っている。

ところが「死んだはずのサンジェルマンを見た」という話が、その後もヨーロッパ各地に現れた。やがて神智学の世界では、彼は死を克服して肉体的制約から解放された「Ascended Master=昇天した大師」と解釈されるようになった。

そして約150年後、1930年のマウント・シャスタで、ガイ・バラードが、「まだ生きていた」サンジェルマン伯爵と邂逅する。その時、ガイ・バラードが語ったサンジェルマンは、もはや18世紀の外交官でも錬金術師でもない。人類を高次の意識へ導く不死の存在だった。そして彼から教えられたとされる核心が、「I AM」、つまり神は外部にいるのではなく、自分の内部に「I AM=私は在る」という神的存在として宿っているという教えだ。その力を言葉によって呼び出し、病気、貧困、不幸、さらには肉体的限界さえ超越していくという。

だが、時代は世界恐慌の真っただ中だった。1929年にウォール街が崩壊し、銀行が潰れ、企業が倒産し、失業者が街に溢れ、未来が突然見えなくなった。その時、「あなたの中には無限の力がある」「宇宙には無限の豊かさがある」と説くI AM運動が急成長したのは、単なる偶然とは言い切れない。

社会学には「existential security」、つまり人間は生存や経済的安全が脅かされるほど、宗教や超越的な意味体系へ接近しやすいという考え方がある。景気がいい時、人はNASDAQを見るが、景気が悪くなると、星を見る。昨日まで信じていた銀行、会社、政府、通貨、キャリアという「現実」が頼りにならなくなると、人間は現実の外側に別の秩序を探しはじめる。事実、2008年の金融危機のあとには、マインドフルネス、ヨガ、ウェルネスなどが大きな文化になった。

翻って現代。パンデミック、戦争、インフレ、AIによる雇用不安、巨大テック企業への富の集中、政治的不信と、再び「いままでの世界」が揺れている。だから僕は、これから世界的にスピリチュアリティへの関心はさらに強まるのだろうと考える。

ただし、今回は1930年代とは少し違う。

21世紀の「不老不死」は、宗教ではなくテクノロジーの顔をしているからだ。

シリコンバレーでは老化を「自然現象」ではなく、「修理可能な技術的問題」と考える人々が増えている。細胞リプログラミング、遺伝子編集、AI創薬、さらには意識のアップロードまで。かつて錬金術師が探した「生命のエリクサー」は、いまやバイオテックになった。そのひとつが、近年Netflixでも話題になった「Don’t Die」運動だ。

考えてみれば、サンジェルマン伯爵とシリコンバレーの億万長者は、それほど違わないのかもしれない。片方は錬金術で老化を超えようとし、もう片方は細胞工学で老化を超えようとしている。片方は「アセンション」と呼び、もう片方は「寿命脱出速度(Longevity Escape Velocity)」と呼ぶ。

そしていま、その聖域は再びマウントシャスタに回帰しようとしている。

データセンターの建造である。

マウント・シャスタ市のすぐ外側、かつてクリスタルガイザーのボトリング施設だった場所に、データセンターを建設する構想が浮上した。既存建物を利用し、閉ループ式の水冷システムを備えた電力中心の施設が検討されている。

100年前、人々はマウント・シャスタの地下に、「人類を超えた知性を持つ存在が暮らしている」と信じた。

2026年、人類はその麓に、「人類を超えるかもしれない知性を収容する巨大な箱」を本当に建てようとしている。

地下都市テロスではない。

GPUのラックである。

アセンデッド・マスターではない。

AIである。

今日、AIデータセンターは、現代文明における一種の「神殿」になりつつある。内部で何が起きているのか普通の人にはほとんど分からない。莫大な電力と水を消費し、世界中から人類の知識を集め、人間の問いに答え、未来を予測し、やがて人間以上の知性になるかもしれないと期待されている。

古代なら、それを「神託」と呼んだだろう。

1930年代なら「アセンデッド・マスター」と呼んだかもしれない。

2020年代の僕たちは、それを「ファンデーション・モデル」と呼んでいるだけである。

人間は科学が進歩すれば神秘から解放される、と長い間考えてきた。

実際には逆なのかもしれない。

テクノロジーが高度化すればするほど、人類は新しい神話を必要とする。

そして経済や社会が不安定になればなるほど、その神話は強くなる。

いま、再び世界が不安定になり、今度は不老不死を目指すバイオテクノロジーと、人間を超える知性を目指すAIが同時に台頭している。

錬金術がバイオテックになり、チャネリングがプロンプトになり、ご神託が生成AIになった。I AMからAIへ。この山が100年間引き寄せ続けてきた「人間を超えるもの」が、とうとう霊体ではなく、半導体の姿をしてやって来たのだ。

もしサンジェルマン伯爵がまだどこかに生きているのなら、ニュースを見て笑っているだろう。

人類は錬金術をやめたのではない。

錬金術を、データセンターの中で再開したのである。