およそ15年ぶりにブログをはじめることにした。

あの頃と大きく変わったことといえば、(いまとなっては巨大な)カメラを構える代わりに、スマートフォンでスナップするのが日課になったこと。ポケットの中の小さな板が、日々の光を淡々と記録していく。気負いのない写真ほど、あとで見返すと雄弁だったりする。このブログでは、そんな日々の断片を、写真とともに綴っていこうと思う。

この夏の前半は、南オレゴンで過ごした。

とにかく、気候が素晴らしい。朝は涼しく、昼は乾いた陽射しが心地よく、夕方になると山から風が降りてくる。湿度という概念を忘れるほどカラリとした空気の中で、ただ風に吹かれている。朝起きて、外に出ると、いつも子鹿がいる。まるでディズニー映画のようで、それだけで一日が満ちてしまう。

実は、いつまで経ってもやめられないものがある。

素晴らしい音楽。美味しいコーヒー。そして、心地よい風が吹く気候。

最初のふたつは、努力すれば東京でもバンコクでも手に入る。だが、最後のひとつだけは、どうにもならない。どんな金持ちでも、気候だけは買えない。豪邸は建てられても、その上空の空気までは注文できない。僕が動き続ける原動力は、他でもない「気候中毒者」だからだ。

考えてみれば、いまは魔法のような時代だ。数時間で何千キロも移動できる。朝、灼熱の街で目覚めた人間が、夜には乾いた高原の風の中で眠れる。中世の王が全財産を積んでも不可能だったことが、一枚の航空券で叶ってしまう。気候が買えないのなら、気候のある場所へ自分を運べばいい。これほど確実な多幸感を手に入れる手段を、僕は他に知らない。

そして、これは単なる快楽の話だけではない。

日照時間が減る高緯度の冬に、セロトニンの働きが鈍り、季節性のうつが増えることはよく知られている。睡眠研究の分野では、寝室の温度と湿度が深部体温のリズムを介して睡眠の質を大きく左右することが繰り返し示され、猛暑が続く都市では認知機能や判断力が目に見えて低下するという報告もある。地中海性気候の土地に長寿地域が集中しているのは、食事だけが理由ではないだろう。つまり、心地よい気候の中に身を置くことは、贅沢ではなく、れっきとした健康法、いや幸せへの最短距離なのだ。

もっとも、こうして理屈を並べているのは、半分は言い訳である。

本当のところは、もっと単純で、一度、完璧な気候を知ってしまった身体は、二度と元に戻れない。乾いた風が頬を撫でた瞬間の、あの陶酔するような感じ。あれを知らなければ、人はどこでも生きていける。知ってしまったら、もう終わり。次の風を求めて、荷物をまとめてしまう。

医者は言うだろう。依存症の治療の第一歩は、まず本人が認めることです、と。

そう、僕は気候中毒者だ。

ただし、治療を受けるつもりは、まったくない。なにしろこの中毒、続ければ続けるほど、調子良くなって、毎日のように多幸感に満たされてしまうのだから。